メンヘラを演じることで救われた話

皆様こんにちは、夜のひととき です。

今日は少し不思議なテーマについてお話ししてみたいと思います。
「メンヘラを演じることで救われた」という言葉、一見すると矛盾しているように感じられるかもしれません。しかし、ナイトワークやSNSの世界において、“病み”や“依存”といった言葉が、単なるネガティブなレッテルではなく、一種の“演出”として機能することがあります。

本当の自分を隠して、弱そうに見せる。
それが、逆に自分を守ってくれる鎧になることもあるのです。

「病んでる風」のキャラは、武器になる

ナイトワークや裏垢界隈では、“病みかわいい”や“メンヘラ営業”という言葉が市民権を得ています。
リスカ跡風のシール、青クマをあえて隠さないメイク、ぴえんな絵文字と、感情が不安定そうな投稿。
これらは一見するとただの“痛いアピール”に見えるかもしれませんが、実際には高度なセルフブランディングである場合も多いのです。

「構ってあげなきゃ消えそう」「俺がいなきゃダメそう」と思わせることで、お客様の保護欲や支配欲をくすぐり、関係性を強固にしていく。
つまり、“弱そうに見せる”ことで、関心や愛情を得るという構造です。

本当に病んでた時より、演じてる今のほうが楽だった

ある嬢がこう言いました。
「本当に病んでいた頃の私は、誰にも助けてと言えなかった。でも“メンヘラキャラ”をやってる今の私は、構ってもらえるし、怒られない。むしろちょうどいい距離感で付き合ってもらえるようになった」と。

これは決して嘘をついているという意味ではありません。
むしろ、自分の本音を出す代わりに“演じた病み”を通して、人間関係を安定させたという話です。

“普通の自分”でいても誰にも注目されなかったのに、“不安定な自分”でいれば、誰かが気にかけてくれる——
この気づきは、ある種の癒しになります。

キャラを演じることで「感情の距離」を保てる

また、感情的にしんどい時ほど、あえてキャラを作ることで、自分と感情の間に“演じている自分”というクッションができるというメリットもあります。

たとえば、本当は心からムカついているのに、グルチャでは「ぴえん🥺💗」と可愛く返して終わらせる。
本当はすごく寂しいのに、「かまちょ期きた🍼」とネタっぽく言っておく。
こうした表現は、感情の深さをやわらげるバッファとなり、メンタルの安定を保つ一種の“スキル”にもなり得ます。

つまり、“演じているからこそ本気で病まずに済んでいる”という人もいるのです。

でも、「演じ続けること」のしんどさもある

もちろん、常にメンヘラキャラを維持することには代償もあります。
「いつでも病んでいなきゃいけない」「かまってアピールし続けないと関係が切れそう」というプレッシャーが生まれると、それはもはや演技ではなく、自傷的なループになります。

また、最初は“演じていた病み”が、気づけば本当に自分を侵食してしまっていた……ということも少なくありません。
演技と本音の境目が曖昧になり、どこまでが“演じた自分”なのか分からなくなることもあるのです。

最後に:キャラに救われても、キャラに殺されないで

メンヘラを演じることは、戦略であり、生き延びるための知恵であり、時に自分を守る盾にもなります。
でもそのキャラに飲み込まれてしまったとき、本当の自分がどこかに消えてしまう危険性もあるのです。

“弱いふり”をすることと、“本当に壊れること”は違います。
演じた自分で居場所をつくるのもいい。けれど、たまには演じないままで誰かと繋がってみてもいいのではないでしょうか。

あなたは、どんな自分でいても、本来価値のある存在なのですから。


この記事を書いた人 夜のひととき編集部
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