SNS時代の魔女狩り――「正義」という名の集団リンチをやめられない日本人

皆様こんにちは、夜のひととき です。

ある飲食店のバイトが、厨房でふざけた動画をSNSに投稿した。炎上し、店は閉店、本人は退職、家族も晒されて終わった。
芸能人の不倫、失言、私生活の切り抜きに、ネット中が一斉に怒り狂い、徹底的に叩く。
炎上は、今や“ニュース”ではなく“日常”になった。
そしてそれを支えているのが――「正義」という名の暴力だ。

「正しいことしてるだけ」という最も危険な心理

人は「正義」を振りかざした瞬間、残酷になれる。
「許せない」「常識がない」「社会人として終わってる」――そんな言葉を並べながら、匿名の群衆は、当事者の人生を徹底的に破壊していく。

しかも、そのほとんどが“当事者”ではない。
実際に被害を受けたわけでも、関係者でもない人たちが、自分とは無関係の出来事に怒り、燃料を投下し、石を投げる。
なぜか。
それは、“自分は安全圏にいる”という思い込みがあるからだ。

「私は燃えない側」だと信じている人ほど、容赦なく他人を叩く。

SNSは、責任を取らない群衆の処刑場

中世ヨーロッパで行われた魔女狩りでは、「あの人、おかしいと思う」と噂された女が火あぶりにされた。
そのとき、群衆の誰もが「正義のため」と信じていた。
今のSNSは、まさにそれと同じ構造を持っている。

個人の失言、過去の軽率な投稿、切り抜かれた映像――それだけで“処刑”が始まる。
炎上の加害者は、いつもこう言う。
「自業自得でしょ」「私はちょっと意見しただけ」「悪いのは向こう」

でも現実には、晒された側は職を失い、友人や家族との関係が壊れ、精神を病む。
ときには命を絶つ。
その責任を、誰も取らない。

夜職の女の子は“燃やされやすい属性”を持っている

キャバ嬢、風俗嬢、インフルエンサー。
人前に立つことを仕事にしている女の子たちは、常に“燃料”として見られている。
「性を売りにしてる」「楽して稼いでる」――偏見まじりの想像だけで、何もしていないのに攻撃されることもある。

たとえそれが、店の制服で撮った写真でも、裏アカのつぶやきでも、ちょっと酔った配信でも。
「叩ける理由」にされるのに、時間はかからない。

そして、叩く側の多くは、“自分はそうならない”と信じて疑わない。
でも、それって本当に安全な場所?

叩くことでしか自分を保てない人たち

SNSの炎上に群がる人たちのなかには、社会への不満、自分への苛立ち、満たされない日常を抱えている人が多い。
でもその怒りを、他人にぶつけることでしか消化できない。
だから“間違った誰か”が出てきたとき、正義の仮面をかぶって一斉に石を投げる。
それは怒りではなく、快楽だ。
「この人よりはマシな私」「ちゃんとしてる私」
自分の中の不安を、誰かを下げることでごまかしているだけ。

本当に“正しい人”は、石を投げない

誰かが失敗したとき、それをネタにせず、冷静に距離を取れる人が、本当に強い人だ。
「燃えそう」と思った瞬間、黙ってスクロールする勇気のほうが、何倍も尊い。
そして、そういう人にだけ、ネットの中でもリアルでも“信頼”が集まっていく。

SNSに正義があるとしたら、それは「声を上げること」ではなく、「黙って見過ごす強さ」かもしれない。

終わりに――“燃えない側”でいられる保証なんて、どこにもない

今日、あなたが石を投げたその誰かが、明日、あなたになるかもしれない。
誰かの正義の的になったとき、あなたを守ってくれる人はいない。
そしてそのとき、あなたに投げられる石の数は、あなたが一人で受けられる数ではない。
石はあなたの身体を貫き、家族を、友人を。
―――あなたに関わるすべての人に突き刺さる。

SNSは、つながるためのツールであって、人を裁く場所じゃない。
誰かを傷つける正義なんて、ただの暴力だ。
それを見抜ける目を、私たちはもうそろそろ持つべきじゃないか。


この記事を書いた人 夜のひととき編集部
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